ハイパーヨーヨーブームと「おはスタ」スタート
——同じ頃、ハイパーヨーヨーブームも平行していました。
ヨーヨーについては新たな着火点さえあれば、またブームが来るのかな、とは思っていました。過去に流行したものでも“今”の要素を付加できれば、新たに蘇る。まあ、ミニ四駆にしろビーダマンにしろ、元々子どもは丸くて回るものが好き。そこにファッションなどアメリカナイズされたライフスタイルの提案まで織り込んだのがハイパーヨーヨーでした。
ブームの組み立てはミニ四駆に似ています。ハイパーヨーヨーでは技に級位を与える認定店が全国に設けられ、子どもたちは技を競って店に集まります。オフィシャルな基準があるとどこにいても全国の子どもたちと同じ土俵で戦える。そこにはコミュニケ-ションが成立します。ヨーヨーはハワイにあるTHPという団体が世界標準。コロコロの習得レベルもその団体の基準に沿って設定されているので、つまり子どもたちは日本の街角のおもちゃ屋さんで世界レベルの挑戦が出来る。世界とコミュニケート出来る仕組みになっているのです。
現代でいえばユーチューブなど動画メディアに相当する仕組みを、雑誌を媒介にして作り上げたとも言えます。
もちろん案内役には、ハドソンの高橋名人、田宮の前ちゃんの伝統に連なる、ヨーヨーの中村名人をフィーチャーしています。名人は少年たちのカリスマであり、オフィシャルの象徴でした。もちろんコロコロ誌上では橋口隆志先生の『超速スピナー』という漫画がイメージ面のサポートをしっかり担っていました。認定店に足を運ぶ子どもたちは絶えまもなく、バンダイは発売4か月で250万個のハイパーヨーヨーを販売したそうです。コロコロ充実期のマーケティングの典型例と言えるでしょう。
——限定ミニ四駆やミュウのプレゼントの反響はどのようなものでしたか?
子どもたちの反響が途轍もなかったことは、先ほどもお話ししました。でも反響は文字通り周囲に影響を与えます。
漫画本を買ってあげたら、さらに全員サービスに使う切手をねだられ、はたまたたまの休みにはイベントだといって引き回され、何時間も並ばされたあげくミニ四駆のパーツを買わされる。イベントが終わって帰りに夕食の材料を求めにイトーヨーカドーに寄れば、そこにもコロコロ・ホビープラザ。親はいったいどう思っているのだろう、とは時々考えました。
——反発があるかもしれませんね。
当時の子どもはシックスポケット(※両親+両祖父母)を持つといわれていました。そろそろ少子化という言葉が使われはじめ、お小遣い、お年玉、一人の子にお金が流れ込むルートが増え太くなっていた時代です。アンケートを取ると貯金が20万円以上あるという子どもも結構多く、思いの外消費者としてのポテンシャルが高かったようです。
子どもたちはコロコロといういわば消費を奨励する媒体を通じて、限定ミニ四駆を買ったり、ミュウを入れてもらうため前提としてゲームを買ったりするわけで、そんな消費誘導の元凶であるコロコロに対し親の反発はないのかということも、当時よく聞かれました。
実際のところ、プレゼントの発送遅れとか、それこそ懸賞が当たらないとか、雑誌にありがちな苦情は多々聞きましたが、ひとつひとつの企画について、けしからんとか全員サービスを止めろ的な反発はあまり記憶にありません。
——なるほど、どうしてでしょう?
というのも、例えばミニ四駆の改造というテーマについても、実は結構教育的な側面を持っていました。ミニ四駆がなければ絶対に手にする機会のない工具を使って子どもが一心に作業している場面で止めなさいとは言いづらい。それどころか親子で共同作業を行うという光景も当たり前のようにありました。
改造して友達と競いたい、ミュウの噂を学校で話題にする、これは明らかにコミュニケーションを前提とした行動ですね。引きこもりがちな一人っ子が社交性に踏み出すきっかけとなるホビー。多少お金がかかっても親はこれを認めざるを得ない。この意味でもコロコロはコミュニケーション雑誌であり、当時よく言っていたガキ大将役の雑誌だったのです。
——この頃「おはスタ」の放送も始まりましたね。
「おはスタ」は、抜群のプロデュースセンスを持った当時の副編集長が、系列の小学館プロダクション(現、小学館集英社プロダクション)と協力してテレビ東京で実現させた、斬新な子どもワイドショーです。いわゆるメディアミックス番組ですが、あくまで情報番組なので様々な人や情報が集まる呉越同舟的な側面もありました。
「まさに、大きな舟といったところですね。いろんなところがそれぞれ自分の得意な部分を展開していくことで、ムーブメントは大きく、また輪は大きくなると思います」(※『ジャストNOW』/1998年新春号より)——こんな風に当時「おはスタ」については語っています。やはり番組の成功を第一に期待していたようです。
——どんな期待をしていたのでしょう?
理由はいくつかあって、番組内の帯で、単独ではなかなか負担が大きいオリジナル漫画のアニメ化が図れること、子どもたちの登校前の時間帯なので流した情報をすぐに学校で話題にしてもらえること。月刊誌の弱みを補えます。
これらを踏まえた上で、さらにこんな趣旨の発言をしています。
「レイモンドや山寺宏一さん、おはスタにはとにかく元気一杯のキャラクターに登場して欲しかったんです。子どもがあの番組を見て元気を出して学校へ行ってくれたら…。例えば、あみだくじのコーナーがあるんですが、あれで幸運の所に行ったら、それだけで学校に行きたくなるんではないか…と。ですから本誌と同様この番組も一つ一つのコーナーがドラえもんのひみつ道具と言えます」(※『ジャストNOW』/1998年新春号より)
局が違うので、この例えはどうかと思いますが、この頃コロコロという雑誌が基本的にドラえもんの雑誌であり、ドラえもんになぞらえて子どもを助けてくれる雑誌、それぞれの企画はドラえもんのひみつ道具に当たると語っていました。「おはスタ」にもそんな役割を期待していたようです。
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