ミニ四駆ブームを巻き起こした「夢を現実にするシステム」
——違和感を持ったのですね。どう対応されましたか?
そんな不安を持ちながらも、自分が専門の漫画編集者でなかったことがこの場合、良い目に出たと思っています。少なくとも雑誌を立体的に考えることが出来た。「漫画もまた情報であり、情報も漫画になり得る」これが一貫した考え方でした。情報の通過媒体では無く、発信源になるべし、ともよく言っていました。
発信源ですから、基本的にコロコロの情報は一次情報であり、独占情報なんですね。時に漫画で醸成したイメージや独占情報が、紙媒体から外に出て行きます。独自商品のプレゼントであったり、イベントであったり、雑誌は自ずと立体的な運営となります。
新しい試みについては管理者としては常に心配や不安がつきまとう。とはいえ前向きな流れをせき止めない、出来るだけサポートする。強いていえば、小六時代に培った「雑誌に扱えないことなどない」という信念が、当時の私の編集方針と言えますね。
——今少しお話に出たイベント「次世代ワールドホビーフェア」について教えて下さい。
つい先日、現在の仕事の打ち合わせで小学館集英社プロダクションの方と打ち合わせをした際、ご挨拶の後こんなお話がありました。
「私もいたんですよ、コロコロの大森ベルポートでのイベントの時、運営で。いやあ、あの時はひやひやしましたね」
大森ベルポートでのイベントとは、94年の年末ミニ四駆を中心として開催されたコロコロコミックの複合ホビーイベントで、「次世代ワールドホビーフェア」の前身にあたるものです。
何にひやひやしたかというと、限定版ミニ四駆の物販に殺到する子どもたちの列が会場をあふれ出て、外周道路を1ブロック分ぐるりと一周してしまったのです。運営サイドは入場者数や導線については十分に対策を講じたはずですが、子どもたちの盛り上がりは想定を遙かに上回っていました。長時間の列待機に加えて、冬の寒さ。倒れる子どもがいないか、強烈な親のクレームが出ないか、運営のスタッフならずとも、新任編集長の私も事なきを心に祈りつつ、ひやひやしながら列に沿って右往左往していたのを想い出します。
——まだ名前は「次世代」ではなかったのですね。
翌95年、「次世代ワールドホビーフェア」という冠がつき、さらに東京ビッグサイトでの開催へとイベントは発展していきました。子どもたちのミニ四駆をはじめコロコロホビーへの盛り上がりはさらに加速していたものの、前年の肝を冷やす体験があってなお拡大路線。
素晴らしく前向きな決断ですよね。子どもたちが安全な室内で並べるようさらに大きな会場を用意しよう、そのためにはさらに多くの企業に協賛をいただこう。何とも力強い担当者の発想! 次世代という冠も、今でこそ未来志向で当たり前に使われていますが、当時は耳慣れない意味不明で、しかも新鮮な響きだった(笑)。
ちなみにイベントは成長を続け、97年6月の幕張メッセでの開催時には、協賛企業20社、2日間で入場者11万人を数えました。任天堂・ソニー・セガ、競合する三大ゲームメーカーがお隣さんで同居するイベントなんて他には無かったですよ。
——イベントを雑誌にどう生かしたのですか?
このころメディアからインタビューを受け、こんな主旨の話をしています。
「いっぺんに六、七万人の子供達を見ていると、はがきのアンケートでは分からない大きな流れというものが見えてくる。これを雑誌に直接反映するかどうかは別にして、掴んでおくのとそうでないのとでは全く違う」(※『週刊読書人』/1998年4月3日より)
コロコロという雑誌をおもちゃ箱のように現実にぶちまけるとこんなイベント世界になる。そこで遊ぶ子どもたちの歓声を雑誌にフィードバックして新しい企画が生まれる。これを繰り返すことで子どもの望む方向に雑誌が育っていくのです。雑誌の成長にイベントが果たした役割は大きいですね。
——ミニ四駆やポケモン、ブームを生むための編集者のあり方とは?
編集部では各おもちゃメーカー担当者が振り分けられ、メーカー側の担当者と月1度のペースで定期会議がもたれていました。商品の新作情報や子どものアンケート調査の人気動向などの情報が交わされます。まあ、ここまではたいていの雑誌で行われるごく普通の情報交換会です。
コロコロではもうちょっと突っ込んだ折衝があります。例えばミニ四駆を例に挙げると、「爆走兄弟 レッツ&ゴー!!」においては、こしたてつひろ先生のデザインによって漫画に登場する「新型ミニ四駆」について、こした先生と担当編集者そして田宮模型の技術担当者による製品開発チームが組まれます。漫画上のデザインと実車性能との調整を行い、ギャップを埋めた後でデザインを決定し、漫画に登場させるのです。
こうした連携あってこそ、子どもたちは漫画の中の改造の仕方をなぞれるし、漫画登場から1・2か月後には田宮模型から発売される実車を手にすることが出来ます。
つまりこれは、「夢を現実にするシステム」なのです。そのために編集者は単なる情報伝達者にとどまることは出来ません。メーカー担当者と一心同体になって構想を現実の形にまで持って行く、まさにプロデューサーである必要があります。
例えば、ポケモンにおける「ミュウ」プレゼント企画や「ポケモン青版」の誌上販売、ハイパーヨーヨーにおける認定店の設置によるオフィシャルな遊び場の提供などは、情報を通過させているだけでは決して実現できないプロデュースセンスのなせる技と言えるでしょう。
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