時代を彩った数々のブーム「高橋名人」「ストⅡ4コマ」「バーコードバトラー」
——高橋名人とのエピソードは編集長になる前でしょうか?
そうです、漫画『ファミコンランナー 高橋名人物語』(高橋利幸先生、河合一慶先生)を立ち上げたのが86年ですね。
——当時のエピソードを教えてください。
高橋名人とは、よくお酒を飲みに行ってね。二人ともカラオケが好きだから。まさか名人が歌手デビューするとは思わなかったけれど(笑)。よく一緒に、深夜まで唄いこみました。
——名人のデビュー曲といえば、『RUNNER(ランナー)』ですね。
「ヘーイ🎵 ランニンボーイ♪」……ああ、まだ覚えてるわ(笑)。楽しかった! それにしても、高橋名人の人気はすごかった。彼は口が立つから、イベントで大人気なんですよね。寅さん(※映画『男はつらいよ』の主人公)みたいでさ。「君、もう(裏方じゃなくて)顔になれよ」と言った覚えがあります。「ハドソンの高橋さん」ではなく「高橋名人」という呼称を、編集会議の席で“本人抜き”で、みんなと決めたと思います(笑)。
——そうだったんですね。高橋名人の16連射は、今も語り継がれています。
彼の人気が本物だと思ったのは、コロコロの企画で高橋名人の母校を一緒に訪ねようとなった時のことです。しかし、我々が学校に着くと誰もいないんですね。おかしいなあ、と校庭で戸惑っていたら、一斉に校舎の窓が開いて。
「めいじ〜〜〜ん! 高橋名じ〜〜〜〜ん!!」って、小学生や先生がみんなで声をあげて大歓迎してくれた。あの光景は忘れられないですね。
——熱烈歓迎ですね。その後、91年に編集長になった頃は、『炎の闘球児 ドッジ弾平』(こしたてつひろ先生)が大人気でした。ほかにも、連載陣には『つるピカハゲ丸』(のむらしんぼ先生)、『おぼっちゃまくん』(小林よしのり先生)、『スーパーマリオくん』(沢田ユキヒロ先生)などの人気作が名前を連ねていますね。
80年代の終わりに、コミックボンボンは“ちびガン”——「SDガンダム」シリーズで子どもの心をつかまえて、花を開かせていきました。一方で、当時のコロコロを支えていたミニ四駆やビックリマンシールのブームは、いつかは終わりが来る。だから、次の企画なり、ブームの仕掛けをを編集部のみんなが考えていた時期なんですね。
——編集長を務めた91年から94年の間で、印象深いブームはありますか?
一つあげるなら、「バーコードバトラー」(エポック社)ですね。お菓子や文房具などのさまざまなバーコードを切り取ってゲーム機にスキャンさせると、攻撃力などの異なるステータスが出てくるというもので、対戦もできるし、これはおもしろいと思いました。商品発売のかなり前から、エポック社さんにプレゼンしていただいて、タッグを組めば独占的に展開できる予感がありました。
漫画にもできるし、大会としてイベントを開けるし、付録のカードにもできる三位一体の展開です。それで、バーコードバトラーのカードの付録を付けるとなったんだけれど、当時、雑誌に付録を付けるには社長や役員の承諾が必要だったんです。
そのため、発売前のバーコードバトラーと付録のカードを重役室へ持って行って、「副社長! これはこういうゲームです。この付録のカードは〜」なんて話しながら、いい大人が一緒に「ピッ…ピッ、ピッ、ピッ!」なんて、静かな会議室でプレイしているんです。笑えますね。
——それは微笑ましい光景ですね……(笑)
あとは、ストⅡ(=格闘ゲーム「ストリートファイターⅡ」)の4コマ漫画がものすごい人気だった。4コマ漫画は、その後も『やったね!ラモズくん』(樫本学ヴ先生)、『スーパーボンバーマン』(むさしのあつし先生)と人気作が続いて生まれました。ラモズくんの原点は、『かっとばせ!キヨハラくん』(河合じゅんじ先生)ですよね。有名人をギャグで料理する、というノウハウが生きていますね。
そういえば、往年のギャグ漫画『超人キンタマン』(立石佳太先生)のサブキャラに「機動戦士オガンダム」というのを登場させたら、ボンボンのK社(※イニシャルにする必要があるのか!?!?)からクレームがきて、単行本では名前を変えたという事件がありました(笑)。