コロコロコミック500号記念企画!! コロコロコミック歴代編集長インタビュー 第4回 【1991〜1994】4代目編集長/黒川和彦

応募者全員サービスの元祖はラジコン

——それくらい、ガンプラ人気がすごかったと! 月刊誌として生まれ変わった別コロ(※現在は隔月発行)には、どんな記事を載せていたんですか?
 
マクロスの次に挑戦したのが、土俵を変えてタミヤの電動オフロードラジコンカー。タミヤさんの新ラジコンカー「マイティフロッグ」を自動車メーカーの新車発表のように見開きでドーン、と紹介してね。本誌では84年から漫画『ラジコンボーイ』(大林かおる先生)が始まったので、別冊では差別化して、グラフに力を入れようという話をしていました。
 

▲当時の『ナイスボーイ』を眺める黒川さん。写真への力の入れようが伝わってくる!

——80年代半ばの話になってきましたが、ラジコンブームが始まる頃ですね。
 
そうですね。転機となったのは、ちょうどその頃にコロコロ編集部を訪れた“前ちゃん”の存在です。のちに「タミヤの前ちゃん」としてテレビ番組などに登場して人気を博したタミヤの前田靖幸さんが手にしていた新製品は、ラジコンカーの“ワイルドウイリス”。レーサーの乗ったオフロードカーのラジコンで、ウィリー走行(※前輪を地面から浮かせて後輪だけで走ること!)できるのが特長です。コンパクトながらもゴツめのデザインがかっこよくて、コロコロ向きでした。
 
「これはおもしろい!」ということで、本誌でのラジコン漫画の企画が一気に進みました。そう、大林かおる先生の『ラジコンボーイ』の誕生です。別コロでは、前ちゃんを介して、タミヤのオフロードラジコンの新車を、毎号グラフで紹介するようになりました。先ほど話した「マイティフロッグ」のグラフは、その糸口となったものです。
 

▲『コロコロ創刊伝説』より

——記事の反響はどうでしたか!?
 
ものすごかった。でも、ボンボンのガンダムも、とてつもなく強い。ロボットホビーに対する、車ホビーの挑戦です。対抗するには、コロコロも他誌が手を出せない独占できる切り口が必要だと。そこで「コロコロオリジナルのラジコンをつくりたいね」という話になったんです。当時、タミヤのラジコンでホーネットという商品があって、そこにポリカーボネート製のオリジナルボディを被せる形でつくれるんじゃないかと。そうして誕生したのが、コロコロ誌面で販売した“スーパードラゴン”です。コロコロのシンボルである、ドラゴン(龍)の頭をイメージしたデザインです。
 
今では、応募者全員サービスというのは当たり前になっているけれど、当時、コロコロでは、通信販売は手探り状態の取り組みだった。しかし、周囲の予想に反して、しっかり読者からの応募がありました。手前味噌だけど、画期的だと思っています。世の中に存在する実車を精密模型化するのが、天下のタミヤの仕事。そのタミヤの社長さんが、架空のマシンのキット化をOKしてくれたのですから。
 
スーパードラゴンは、のちにワイルドウイリスに代わり、『ラジコンボーイ』の主役機となった。「まだ世の中にないものをつくって漫画の中に登場させ、商品化を目指そう」という考え方は、『ダッシュ!四駆郎』(徳田ザウルス先生)の原型となりました。
 

▲スーパードラゴンの紹介記事。開発秘話も載っている!

——ラジコンからミニ四駆ブームへの移行は、どういった流れがあったのでしょうか。
 
当時、ラジコンというのはプロポやバッテリーも含めると、3万円ほどするホビーでした。なので、持っている子が限られていた。コロコロでは『ラジコングランプリ』というイベントを開催して、無料でラジコンを操作することができたんだけれど、持っている子と持っていない子では勝負にならないんです。ラジコンはおもしろいんだけど、そこが悩みどころだったんです。
 
それなら、実車を24分の1のスケール(※大きさ、ってこと!)にした“ミニ”四駆はどうだろうか、となったんです。タミヤは以前から実車のミニ四駆シリーズを出していたけれど、人気のオフロードラジコンカーをさらにコンパクトにした“レーサーミニ四駆”シリーズが誕生します。600円なので、子どもにも手が届くホビーなんですね。ここから先の展開は、漫画オリジナルのレーサーミニ四駆を一緒につくろうと進展していきます。それが『ダッシュ!四駆郎』へとつながります。
 
——コロコロアニキで連載中の『コロコロ創刊伝説』(のむらしんぼ先生)が、ちょうど、その頃のエピソードですね!
 
そう。この話の続きは長くなるので創刊伝説で(笑)。
 

▲1988年当時の表紙

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