コロコロコミックは、2019年11月15日発売号で創刊500号を達成!! それを記念して、現10代目編集長までのリレーインタビューで約40年にわたるコロコロの歴史を振り返るぞ!
第2回は、コロコロコミック初の100万部発行を成し遂げた、2代目編集長の福島征英さんだ!! 約2年の在任期間ながらも、社会現象を巻き起こしたファミコン・ビックリマン・ラジコン&ミニ四駆ブームのほか、『おぼっちゃまくん』『つるピカハゲ丸』など、コロコロのレジェンド漫画の数々が連載する密度の濃い時代を過ごした福島さん。当時の貴重な話をたくさん聞いてきたぞ!!!! 「コロコロ500号記念大年表」と一緒に楽しんでくれよな!!!!
福島征英(ふくしま・まさひで)
1944年、埼玉県出身。『小学五年生』『小学三年生』『よいこ』『小学二年生』『てれびくん』編集部を経て、1985年8月から1987年6月までコロコロコミック編集長を務めた。その後、女の子版コロコロコミック『ぴょんぴょん』(※現在は『ちゃお』に統合)を立ち上げ、同編集長に。コロコロ読者だという小学生のお孫さんにとっては、超自慢の“じーさん”だ!!
コロコロへの異動が決まって「友だちと仕事ができるんだ」と思った
——福島さんがコロコロコミック2代目編集長に就任したのは1985年8月です。就任と同時に「コロコロを100万部の雑誌にする」と宣言。同年3月の発行部数35万部から、わずか2年で実現しました。
それはね、みんなの力なんです。だって、おれが編集長の頃のコロコロって、柱がいくつもあったから。社会現象になったブームだけでも、ファミコン・ビックリマンとあるでしょ。ラジコンとミニ四駆は、ちょうど過渡期(=移り変わるタイミングのこと!)だったかな。漫画は『ドラえもん』(藤子・F・不二雄先生)を筆頭に藤子作品があって、アニメ化を果たした『おぼっちゃまくん』(小林よしのり先生)や『つるピカハゲ丸』(のむらしんぼ先生)もあったから。
——ものすごく濃い2年間ですね。そして、87年の夏に平山さん(=平山隆/3代目編集長)にバトンを渡したと!
実を言うと、本当に100万部いくとは思ってなかった。そもそも、異動する前はコロコロの発行部数を把握していなかったからね。50万——いや、もしかしたら80万部くらい売れていると思っていたかもしれない(笑)。前任の千葉さん(=千葉和治/初代編集長)から「次を福島に任せたい」と言われて、「わかりました!」っていう。それだけだったんだよ。
おれは、コロコロの前は『てれびくん』(※小学館が発行するヒーロー雑誌だ!)にいたの。当時のコロコロ編集部員は“低学年編集部”といって、学年誌(=学年別学習雑誌。『小学一年生』など)の編集者がつくっていたから、コロコロのみんなとは顔なじみだった。
平山くんはウルトラマン情報を担当するチームとして一緒に仕事していたし、千葉さんはおれが新入社員の時の直属の上司だったから。おれは千葉さんから「編集とは!」という、とても大切なことを教わった。だから、彼には借りがあると感じていたんだね。
——じゃあ、千葉さんから「次を託したい」という話があった時は……。
悩まなかった。創刊メンバーの平山くんがやればいいんじゃないか、とは思ったけど。でも、平山くんが「福島さん、来てくださいよ」なんてストレートに誘ってくれてね(笑)。コロコロの編集部員は、みんな友だちだったから、「これからは友だちと一緒に雑誌をつくれるんだ」と思った。コロコロのことはあまり把握していなかったけど、顔なじみの編集者と一緒に仕事をできるというのが魅力的だと思った。
コロコロが創刊された当初のことを思い返すと、千葉さんと平山くんは本当に夜遅くまで仕事していた。おれが外で夕食を済ませてデスクに戻ると、毎晩、二人で机に向かってるのよ。平山くんに「今日もやってるな〜」と声を掛けると、「お互いさまですね」なんてさ。懐かしいね、あの頃が。本当に。
——編集長になってから掲げた方針はありましたか?
コロコロは千葉さんと平山くんでつくった雑誌だから、まずは、その意思を受け継いでいくことが大事だと思ったんだ。編集部員から「今はファミコンが流行っています」と教えられて、「よし! じゃあ、ファミコンだ!!」くらいの感じだな(笑)。
でもね、強いて言うなら、キャラクターが欲しいと思った。ファミコンをカラー記事で紹介するだけではなくて、コロコロ独占という形でファミコンを体現するキャラクターが。それが高橋名人なんだよね。彼は、よくコロコロ編集部に遊びに来ていたんだ。当時、ほかにも名人がいたんだけど、知ってる?