ミニ四駆全国決勝大会で感じた超熱気!!
——しめ打ち誕生秘話が出てくるとは……!!
しめ打ちの反響が圧倒的で、ゴールデンボンバーマンがバカ売れしたんですね。その流れで、「ミニ四駆のように、カスタマイズできるビーダマンを」という話になって、「スーパービーダマン」シリーズが生まれました。
あとは、配属されていきなりミニ四駆が大ブームになり、佐上さん(=佐上靖之/コロコロ7代目編集長)がものすごく忙しかった。それで、佐上さんから「お前手伝え!」と言われ(笑)、ミニ四駆のサブ担当になりました。ミニ四駆の改造記事やショップリストのページ、あとは『ミニ四ファイターV』(青木たかお先生)の漫画の担当などをやらせていただきました。
——ミニ四駆ブームを体感した出来事はありますか?
幕張メッセで開いた、97年の「グレートジャパンカップ全国決勝大会」です。数万人の集まった会場がミニ四駆一色で、熱気がものすごかった。決勝までの合間に、影山ヒロノブさんがアニメ『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』のオープニング曲『GET THE WORLD』をライブで歌ってくださったんですが、会場の子どもたちがみんなで「レッツゴー! レッツゴー!! レッツ&ゴー!!!!」って大合唱していて。
その時、会場を全角度から眺めようと後ろのほうを歩いていたら、佐上さんも反対側から歩いてきて向かい合う形になった。すると、すれ違う時に佐上さんが無言で握手を求めてきたんですよね。たぶん、会場の熱気がすごくて、何か話そうとしても聞こえないからだと思うんですけど。……漫画か!って言うシチュエーションですよね(笑)。佐上さんもクールな感じだし、おれも生意気な後輩だったんですけど、その時はしっかり握手しました。
——言葉を交わさずとも伝わるものがあったと。その後、秋本さんは一度、別の編集部に異動していますね。
98年から、中学生向けコロコロコミックとも言える『コミックGOTTA(ガッタ)』の立ち上げに携わりました。前身として『ハイパーコロコロ』の存在があるんですけど、GOTTAには“コロコロ”の冠が付いていない。そういう意味では、まったく新しい媒体をつくるチャレンジでした。
当時、「コロコロはちんちんに毛が生えたら卒業してよし!」「中学生になって彼女ができた時、コロコロを読んでたらダサいぞ」というつもりでいたこともあり、自分としても、コロコロを卒業した読者に向けた雑誌をつくりたいと思っていたんです。
結局、『コミックGOTTA』は2001年に休刊してしまうんですけど。ただね、『ケシカスくん』の村瀬範行先生とは、彼がGOTTAに持ち込みしてきたことで出会えたんです。おれは、GOTTA休刊のタイミングでコロコロに戻ったから、村瀬先生とはコロコロ向けの漫画をつくろうということになって。
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