コロコロコミック500号記念企画!! コロコロコミック歴代編集長インタビュー 第7回【2004-2011】7代目編集長/佐上靖之(サガミネーター)


コロコロコミックは、2019年11月15日発売号で創刊500号を達成!! それを記念して、現10代目編集長までのリレーインタビューで約40年にわたるコロコロの歴史を振り返るぞ!
 
第7回は、社会現象を巻き起こしたミニ四駆漫画『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の初代担当編集者であり、7代目編集長の“サガミネーター”の愛称で親しまれた佐上靖之さんだ!! コロコロ編集部在籍期間が1993〜2011年という超コロコロ戦士の佐上さんに、Jリーグ、メタルファイトベイブレードのブーム、イナズマイレブンシリーズなど、当時の小学生を夢中にさせた漫画・ホビー・ゲームについて聞いてきたぞ!!!! 「コロコロ500号記念大年表」と一緒に楽しんでくれよな!!!!

佐上靖之(さがみ・やすゆき)
1964年、埼玉県出身。1988年、小学館に入社し、『てれびくん』編集部に配属。93年にコロコロコミック編集部に異動し、Jリーグとミニ四駆を担当。連載を起こした漫画『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』(こしたてつひろ先生)は、日本中にミニ四駆ブームを巻き起こした。その後、04年から11年まで、7代目編集長に就任。休日には子どもが集まる場所へと足を運んでいたほか、07年にはイベント「コロツアー」を立ち上げるなど、読者である男子小学生に向き合い続けてきた。

 

『コミックボンボン』と拮抗していた90年代前半

 

▲コワイおじさんではなくて、コロコロの7代目編集長なのだ!

——佐上さんは1993年から2011年までコロコロコミック編集部に在籍した、生粋のコロコロ戦士です。編集長在任時のみならず、編集部配属時の話から聞かせてください!
 
おう。(※低くてかっちょいい声をイメージして読もう!)
 
おれはさ、まず小学館に入社した88年から、『てれびくん』(※小学館発行のヒーロー雑誌だ!)に5年間いたわけ。コロコロ編集部は隣にあったんだけど、100万部突破で破竹の勢い。すげーなって思って見ていた。
 
でも、おれがコロコロに異動する頃には、部数が半分くらいになっていたのかな。時々、ボンボン(=『コミックボンボン』/講談社から発行されていた児童漫画雑誌)に負けるかもくらいになっていて、「むむっ、これは大変だぞ!」というのが最初の感想だった。
 
——そんななかで、佐上さんは何に力を入れようと考えましたか?
 
おれがコロコロに来た93年って、Jリーグが開幕した年なんだよ。だから、配属された当初、黒川さん(=黒川和彦/4代目編集長)に「何か好きなことを一つやっていいよ」と言われて、「Jリーグがやりたいです」と答えたんだ。Jリーグがどう盛り上がっていくのか、まだわからないタイミングだったけど、おれはサッカーが好きなこともあって、すごく楽しくやらせてもらった記憶がある。
 
それでさ、黒川さんには「その代わり、ミニ四駆も担当しなさい」と言われたんだよね。その頃は、人気を博した徳田ザウルス先生の『ダッシュ!四駆郎』のブームがひと段落した頃。当時、仕事量的にはミニ四駆よりJリーグ関連のほうが多くて、自分はサッカーがメイン担当くらいに感じていた。でも、ここでミニ四駆の担当になったことが、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の大ブームへとつながっていったんだ。
 
——時系列を追ってうかがえればと思います! 93年に『やったね!ラモズくん』(樫本学ヴ先生)の連載が始まっていますが、これは佐上さんの担当作品ですか?
 

▲『学級王ヤマザキ』『コロッケ!』の樫本先生が描いていたのだ!

ラモズくんの担当はね、おれじゃないの。でも、当時のJリーグ関連の付録はおれが担当していた。今でも思い出深いのは、アルシンド選手のお面ね。
 
——鹿島アントラーズに所属していたアルシンド選手といえば、歴史の教科書に載っているフランシスコ・ザビエルを彷彿とさせる髪型が印象的でした!
 
当時、ラモス選手やカズ(=三浦知良)選手を筆頭としたスター選手が何人もいて、子どもにも大人気だったんだよね。選手の肖像(※写真やイラストのことだよ!)を使うのって、ものすごくハードルが高かったんだけど。何とかできないかと思って、アルシンド選手がCMに出ていたアデランスの宣伝部を訪ねに行ったの。
 
「コロコロ読者のお父さんで、アデランスを利用しようと考えている人がいるかもしれません。タイアップ(※企業と一緒に何かをすること!)で、アルシンド選手のお面を付録に付けさせてもらえませんか?」って。
 
そしたらさ、宣伝担当の方が大変心の広い持ち主で「おもしろいですね! ぜひ一緒にやりましょう!」って言ってくれたの。あの付録がアンケートで何位だったかは忘れちゃったけど、ダメ元で交渉しに行って実現したという、おもしろい経験だったね。
 

▲付録のお面。アルシンド選手が「もぅすぐにー! アルシンドになっちゃうヨー!!」と日本人の頭髪を心配するCMが話題となった

「まだ早い」と言われた『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』

——企画を持ち込んだことが功を奏したのですね。一方で、ミニ四駆の仕事は、どのように進めていたのでしょうか!?
 
さっきも話したけど、おれがコロコロに来た頃っていうのは、『ダッシュ!四駆郎』によるミニ四駆第一次ブームが落ち着いた頃だったんだよね。
 
でもさ、根強いファンはいるわけ。その証拠に、タミヤさんは定期的に百貨店の屋上でミニ四駆の大会を開いていて、そこでは、たくさんの子どもたちが本当に楽しそうに遊んでいた。おれは、その様子を見て、今までと違う切り口の記事や漫画をコロコロで投げ掛けたら、またすぐに盛り上がるんじゃないかという予感がした。それで、編集会議に企画を出したんだ。
 

 
——反応はどうでしたか……?
 
先輩たちは、「1回目のブームが落ち着いたばかりだから、まだタイミングが早いんじゃないか」と言っていた。
 
おれは「それなら、前後編の読み切りでもいいからやらせてほしい! それでアンケートが良かったら連載を!!」という話をしたら、何とかゴーサインが出たんだ。それが、こしたてつひろ先生の『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』ね。
 
——うおぉ……!!
 
そしたらさ、ビックリするくらいアンケートの結果が良かったの。約5年間連載したんだけど、連載1発目から、たぶん『ポケットモンスター 赤・緑』が出るくらいまでは、ひたすらアンケートのトップだった。
 
自分の担当する作品がトップを取るのもうれしいけど、またコロコロが売れ出して、ボンボンと部数が開き始めるのを目の当たりにしてさ。それも、さながらレースのようなものだよね。一つのブームがコロコロの部数に直結するのを体感して、すげーおもしれーなって思った。
 

 
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