人気付録「パスポート」は藤子プロでの旅行がヒントになった!
——『コロコロ創刊伝説』にそんな一幕があったような……。
毛利名人と橋本名人というのがいたんだよ。高橋名人vs毛利名人っていう映画もつくられたくらい(=『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』)。ファミコンブームはすごかったね。
——当時、コロコロが開いていたイベント「TDK全国キャラバンファミコン大会」の思い出はありますか? 今の「コロツアー」の元祖的イベントとも言えます。
ああ、2台のキャラバンカーで東西に分かれて全国を回ってね。あの頃、付録で“コロコロ少年団パスポート”というものをつくったんだ。そこに、ファミコンキャラバンでスタンプを押すページがあって。小学生が、みんな手帳を持ってスタンプのところに並ぶんだ。あの光景はうれしかったな。手帳を開いて、名人たちにサインを求めたりね。
パスポート付録の裏話をすると、藤子プロとのハワイ旅行がきっかけだった。なんと、その旅行では、ホテルが独自にパスポートをつくっていて、そのパスポートを見せるとサインするだけで食事ができたり、商品を買えるというシステムだった。それを思い出したんだ。このパスポートの感動を、子どもにも味わってほしかった。別に付録のほうは、お店で何ができるというわけではないけどね(笑)。
——そんなマル秘エピソードが……! そういえば、86年に発売した『忍者ハットリくん』のゲームが150万本という大ヒットを記録しています。
それはね、当時、高橋名人らと深いお付き合いをしていたハドソンから「コロコロのキャラでゲームをつくりたい」というお話をいただいたんだ。攻略本も50万部近く売れて、すごかった。
当時はファミコンソフトの攻略本も、コロコロ編集部でつくっていた。ソフトが次から次へと出るから、編集部員は一人一冊は担当していたはずだね。人がいくらいても足りない、と感じるくらい忙しかった。
——ちなみに、福島さんはゲームはやりこんでいましたか?
編集部のみんなは、記事をつくるにあたってファミコンでよく遊んでいたけど、おれは下手だった。当時、「999万点必勝法」なんて特集していた『スターフォース』だって、クリアできなかったんだから(笑)。