初のノンフィクション小説「南の国のカンヤダ」を出版 スタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーにインタビュー!!

8月3日にノンフィクション小説「南の国のカンヤダ」(小学館)を出版した鈴木敏夫さん(69才)がコロコロオンラインに初登場!
 
「南の国のカンヤダ」は、タイのシングルマザー・カンヤダをめぐる物語だが、鈴木さん自身のさまざまなエピソードも綴っている。なかには、自身の小学生時代の思い出も。コロコロオンライン読者に向けて、自分の小学生時代を語ってくれた。

幼少期に遊んだ「戦争ごっこ」

――鈴木さんは子供のころはどんな遊びをしていたんですか?
おれの小学生時代の遊びといえば、学校の帰りに近くの森でした「戦争ごっこ」だよね。「南の国のカンヤダ」でも触れたけど、当時、五寸釘が道端にいっぱい落ちていた。なぜだか知らないけど(笑)。みんなで釘を集めて、自家製のかまどで熱して、その釘をやわらかくする。それを金槌でたたいて、突き刺せるようにして、武器として使うんだよ。あまり「コロコロ」にふさわしくない?
 
――いえ、大丈夫です。ただ、危ないだろうと思って。。。
これは使い勝手はふたつあったの。ひとつは、矢じりの先にくっ付けて、弓矢として使う。あと、針金もいっぱい落ちてたんだよ。
 
――針金も?
うん。使い勝手のふたつ目は、その針金と五寸釘のやわらかいやつで十字手裏剣をいっぱいつくった。それで、日夜、何をやってたかっていうと、その山の中で訓練なんだよ。十字手裏剣を木にぶっ刺すとか、それから、弓矢で木の的に当てるとか、連日。
 
――学校帰りに毎日?
毎日やってた。そうこうしているうちに、武器がいろいろできるじゃない。それで、武器をしまっておく場所が必要だっていうので、アジトをつくる。なぜあんなことをできたんだろうと思うんだけど、ちっちゃな小屋を木の上につくるんだよ。武器をそこへ置いておくわけ。何で木の上だったかっていうと、盗まれるといけないからなんだ(笑)。
 
――ほかには、どんなことをして遊んでいたんですか?
東京でいうメンコ。おれなんかはいっぱい集めたよね。いっぱい持ってたもん。でも、お金で買ったやつじゃないんだよね。勝負して手に入れたやつなんだよ。家の茶箪笥を開くと、もうメンコが山のように置いてあった。おれはメンコが強かったんです。勝負には、弱い子と強い子がいるじゃない。そのメンコを弱い子に回してあげる。そういうことをしていましたね。
 

貧富の差を実感した小学生時代

――鈴木さんが子ども時代を過ごした場所は、名古屋市です。
おれの家は大曽根という地区だったんですよ。一本道をへだてると、その向こうは徳川町っていう地区。徳川町は高級住宅街。大曽根側は貧しかったんだよ。ほんとに、一本道をへだてるだけで、大きな違いがあった。
小学校に入る前は、徳川町の子どもたちと遊んでたんです。まだ珍しいテレビを当たり前のようにみんなの家が持ってたりして。野球ができるほど広い庭に住んでいる子なんかもいた。ところが、小学校に通うようになると、登校班というのがあるよね。登校班は、大曽根地区の子たちと行かなきゃならなかった。おれは、その子たちとはそれまで付き合いがなかった。突然、貧富の差を知るわけよ。
 
――小学生にして、その現実を知るわけですか。
すごく残っている記憶があるんだけど、カワイ君という子がいた。だれかに「その家がどこにあるか」を聞かれたんだよね、おれは、何の悪気もなく「ここのちっちゃい家だから」って言っちゃったの。そしたら、カワイ君に伝わって、文句を言われたの。それに対してどうしたかは覚えてないんだけれど。
学校のクラスのけんかもそうだった。簡単に言うと、お金持ちグループと、そうでないグループと分かれて。
 
――ほんとにあからさまなんですね。
先生が露骨にそのお金持ちグループをえこひいきするわけよ。お金持ちの子はみんな、当時始まった日本初の子ども向け番組「月光仮面」のグッズを持っている。一方、貧しい子たちのグループは、だれも持ってない。おれは絵がうまかったから、月光仮面の絵を次から次に描いて、プレゼントしたの。その子たちの家に行くと机なんかないんだよ。机は判で押したようにミカン箱だったの。そのミカン箱の真ん前におれの月光仮面の絵が貼ってあるわけ。子どもながらに胸が痛んだもん。おれの絵が飾ってあるのはいまだに忘れないな。絵柄だって覚えてる。
 
――それはうれしかったんですか。それとも、複雑な気持ち?
複雑な気持ちだったの。顔では笑ってたけれど、心の中では複雑でした。
 
――普通、子ども時代の話を聞かせてくださいって言うと、結構楽しい話ばかりのイメージがありますが。
つらい話が多かったです。複雑でした。もう少し明るい話はないかな。おれはろくな話しかないんだよね。
 
――今の子を見て、どう思いますか。
大人の前では、ちゃんと子どもらしくやっているけれど、実は大人の部分があるということをすごい感じてるんですよ。おれの子ども時代は、子どもでありながら、ある部分、大人の面があった。それは、今の子たちも実は持ってるんだと思う。だから、おれたちの子どものころと今の子どもたちって、何も変わってないと思ってるんですよ。「風の中の子供」という大好きな映画があるんです。この映画は、親のいないところで子どもたちは何をしているか、そこにはちゃんと社会があるという内容なんですよ。今の子どもたちの不幸な点は、子どもだけの時間がないことだよね。常にそばに親がいるでしょう。子どもは、昔も今も同じだと思う。親が思っている以上に「子どもは大人だ」っていうのが、おれの感想ですけどね。このインタビューは「コロコロ」にふさわしいんでしょうか?

[鈴木敏夫]
1948年、名古屋生まれ。スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。特技は、事務所マンションのエレベーターで偶然乗り合わせた人と友だちになること。人付き合いのモットーは、「出会ってしまったんだから、しょうがない」。
金沢21世紀美術館 市民ギャラリーA(石川県)で「スタジオジブリ鈴木敏夫 言葉の魔法展」を開催中。8月25日(土)まで。